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− 帰危 −

 

 

 

 寝る。

 その行為を『する』のではなく、強制的に『させられる』状況に陥った時。

 そしてそれに、抗わなければならなかった時。

 どれだけ苦しいかは、言うまでもない……。

 

 

 辺りを見回す。

 変わらぬ木々の並び。変則的に育ったような、奇妙な植物。

 そんな中に姿は見えぬとも、感じられる気配。

 ――― 殺気。

「はぁ、はぁ、はぁ……!」

 荒々しい息づかいを懸命に沈めようとするマリア。

 しかし立ち止まれば、急に近付いてくる気配。

 ガサッ!

(ノアァァァァア……)

 来た道とは反対の木の陰に身を潜めていたはずなのに、前方より迫ってきた
それは、大きく顎を開け、マリアの息の根を止めようとする。

「……っ」

 帽子(黒い物体をそう読んでいいのかは分からない)の、こういう時でさえ、
緊張感のない声に寸でのところで、その身をひるがえす。

 今までいた場所には、マリアより二・三倍はあるかと思われる、虎。

 獰猛な目でマリアを見据える。

(ケッシテ ノガサナイ……)

 そう言わんばかりの、力と威厳に満ち溢れた目。

 恐怖に足がすくむ。

 だがここまで来たのに、立ち止まるわけにはいかなかった。

 必ずこの森を出なければならない。

 その一心で、マリアは駆け出していった。

 

 

 マリアが意識を取り戻して、もう一週間以上が経とうとしていた。

『スポンジケーキ』を食べることで、空腹にはならなかったが、その疲労はとれるはずもない。

 行く道の途中、手頃なところを見つけては、そこで睡眠をとる。

 その繰り返しをしながら、歩き続けたマリアだったが、未だにこの森を抜ける
ことはなかった。

 永遠に続いているのではと思わせる森に、心は次第に単調になってゆく。

 そんな時だった。

 いつしか、様々な場所から視線を感じるようになった。

 中でも、獲物を観察するように、ずっとついてくる気配。

「気味が悪い、ね」

 最初はそれでよかった。

 だが三日前より、その状況は急変した。

 値踏みを終えたかのような気配は、猛烈な殺気となって、マリアに襲い掛かる。

 ただ逃げる事しか出来ないマリアは、それからずっと止まる事が出来ずに、
複雑な森の道を走り抜けていった。

 

 

「きゃぁ!」

 前方の視界を背の高い草が遮っていたせいか、極度の疲労が視界を悪くしたのか。

 踏み出してみればそこにあるはずの道がなく、マリアは高い崖を転げ落ちるはめになった。

 身体中を打撲しながら、最後には地面に叩きつけられる。

「うぐっ……」

 無意識で頭を庇ったため、意識がなくなることは無かったが、全身の痛みは強烈で動けそうに無い。

「……い、ったぁ」

 涙が流れる。

 全身を抱きしめるように押さえながら上を見れば、やはり切り立った崖になっている。

 こんな所を転げ落ちて、よく無事だったなと正直驚くマリア。

 それも束の間。

(ジャリ)

 上から顔を覗かせたのは、あの獰猛な、琥珀の瞳だった。

 虎は優雅に崖を飛び降り、マリアの前方へと着地する。

 逃げ道は、塞がれてしまった。

「……たす、けて」

 答える声はない。

 反対に手傷を負った獲物にも油断する事はないのか、慎重に間合いを詰めてくる虎。

 頭よりずり落ちそうになっていた、帽子を抱きかかえる。

 帽子からは微かな温かみが感じられた。

「おかぁ、さん」

 川で激流に飲み込まれた時、最後に感じた母の温もり。

「たすけて……」

 虎は助走をつけ、ついにマリアの首筋を噛み切ろうと、飛び掛った。

 思わず目をきつく閉じる。

 そして感じたのは、瞼越しにも感じられた、眩しい光だった。

 

 

 虎には理解できなかった。

 目の前の獲物は、最早逃げる事も、反抗することも叶わぬ。

 そう見て、仕留める為に飛び掛ったはずだった。

 だが現実は、何故か自分の心臓をえぐられる形となってしまった。

 獲物の腕の間から、黒いものより発せられた光は、的確に無防備となった自分の胸部を貫いたのだ。

 崩れ落ちる中、最期に見たのは光の筋が収拾してゆく、見開かれた目だった。

 

 

「……?」

 もうだめ。

 そう思った次に聞こえたのは、くぐもった呻き声と、ドサッという何かが地面に倒れる音だった。

 恐る恐る目を開けてみれば、目の前には血を流して絶命する虎の姿。

 先程まで獰猛に輝いていた琥珀も、色を失っている。

「な、なにが……?」

 腕の中より溢れる光の雫が、ふと目に入る。

「……あなたが、やったの?」

(オァァァァァ〜)

 肯定なのか、否定なのかさえわからない、長い声。

 消えてゆく光の雫が、肯定なのだと理解させる。

「相変わらず、めちゃくちゃだね……」

 こんな状況でも、思わず笑みが浮かんでしまう。

 もしかしたら、この帽子はとんでもないものじゃないんだろうか、と今更ながらに思うマリアだった。

 

 

 改めて自分の身体を襲う痛みに顔をしかめながら、周囲を確認する。

 すると今までとは違った風景が見て取れる。

 森、ということには変わりがないが、今までのような、怪しい植物等は生えて
おらず、逆に和やかな雰囲気漂うものばかり。

 今までの森とは、その風貌が全く正反対だった。

「……抜けたのかな」

 嬉しさが込み上げる。

 そしてさらに、嬉しい気持ちを増長させるものが目に付く。

「いえ、だ」

 少しばかりひらけた場所に一軒だけ、ポツンと家があった。

 もしかしたら誰かが住んでいるかもしれない、と思う気持ちがはやり、痛さなど忘れて駆け出しそうになる。

 実際にはそんな走れる身体ではないために、一歩一歩踏み出してゆく形では
あったが。

「やっと……やっと……!」

 ここまで長かったが、やっと人がいる所まで、辿り着いた。

 嬉しさに溢れながら、可能な限り速く、家まで歩いてゆく。

 だが。

(ドサッ)

 後方より、聞こえるはずがない音が聞こえる。

 さっきの虎は、もう死んだはず。

 疑問に思ったまま、振り向いてみる。

 そこには。

(………………)

 地面に伏しているものより、さらに大きい虎が、怒りに満ち溢れた瞳でこちらを見ていた。

「そ、そん、な……」

 

 

 マリアから見たら、どちらも大きく見えたのだろうが、実際には今マリアを
見据えている虎こそが、標準な体格をしたものである。

 見つけて品定めした獲物を、我が子に狩らせようとしたら、逆襲され、
命を奪われてしまった。

 母虎からは純粋な怒りが湧き出していた。

 背を向け、足を引きずりながら逃げようとする獲物。

 逃がすわけがない。

 大きな咆哮をあげる。

 そして瞬時に駆け出し、子の命を奪った張本人を屠ろうとした。

 

 

 もう後ろを見ることはない。

 なんとかしてあの家まで辿り着かなければ。

 身を切り裂くような咆哮が、後ろよりあがる。

 冷や汗が止まらない。

 とにかく、あの家まで。

 そう思っていた時。

(ガチャッ)

 家から出てきた人物がいた。

 自分と同じくらいの歳だろうか。

 マリアとは正反対の、黒い髪を持つ可憐な少女が、不思議そうにその光景を
見つめていた。

 だめだ。

 瞬時に悟る。

 あの子まで、巻き添えにしてしまう!

「閉めてっ!」

 大声で叫んだのに、未だに不思議そうにしている黒い少女。

 事態が掴めていないのだろうか。

 危機感が湧き上がる。

 そんな時だった。

 ――― 今まで激烈に稼動していた身体が、身も凍るような刺激に襲われたのは。

 

 

 

 

 

 

 

著者: 若葉 様







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