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− 白黒の鉦(中編) −

 

 

 

 長い間、沈黙が流れていた。

 どちらとも言葉を発することはできず、ただ相手を見つめるばかり。

 マリアの目に映るのは、見間違えてしまうほどに影を濃くした父の姿。

 すぐにでも抱きつきたい気持ちに駆られても、何かがそれを押しとどめる。

 浮かぶのはあの時。

 母を抱きかかえた、恐ろしさを感じ得る父の表情。

 あれが現実であったなら、私を受け入れてはくれないだろう。

 ある種の恐怖と、もしかしたらという期待感がない交ぜになっているマリアは、父の姿を見つめたまま、動くことが出来なかった。

「……んで」

 そんな中で、わずかに聞こえた父の声。

 よく聞こえなかったが、声には重苦しいものがこめられていた。

「おとう、さん」

 一歩ずつ。

 一歩ずつ、マリアへ近寄っていく男。

 マリアも同じくして、ゆっくりと近寄ってゆく。

 抱きしめてもらいたいという願いは抑えられず。

 目の前まで来た父に手を伸ばす。

 それなのに。

 それほど純粋な願い、思いのマリアに聞こえた、父の二言目は。

「――― なんで生きているんだ」

 伸ばした手をとられることはなく、父は横をすり抜けていってしまった。

 思考が停止する。

 なんで、生きている?

 まるで生きていてはいけないかのような言葉。

 いや。

 ようなではなく、確実に「生きていてがいけない」と聞こえた。

「おとうさんっ!!」

 最早、制御はきかなかった。

 遠くなった父の姿を、出来る限りの速さで追いかける。

 目は涙で溢れ、視界はぼやけてしまっていた。

「おとうさん、おとうさんっ、おとうさん……っ!」

 抱きしめて欲しかったのに。

 笑顔で迎えて欲しかったのに。

 マリアのそんな思いとは裏腹に、男はどこかの部屋の中に姿を消してしまった。

 また置いていかれる。

 自分ひとりを残して、どこかへ行ってしまう。

 せりあがる恐怖がさらに拍車をかけ、マリアは父の姿がきえた部屋まで走って
いった。

 

 

 なぜ生きているのか。

 目の前に現れたのは幻ではない。

 足早に入った部屋にて、男は棚の引き出しを乱暴に開けた。

「あれは、化け物だ」

 マリアが死んでいないのなら、誰が俺を苦しめていたというのか。

 ――― それは自分自身

「違う」

 ――― それは自分を許せない心

「違う!」

 認めるわけにはいかない。

 それ故に。

「化け物を目の前から、消すんだ……」

 男は引き出しから取り出したそれを、向かってくる足音の方向に向けた。

 

 

 突然だった。

 長く『あちら側』にいたマリアだからこそ、感じられたのかもしれない。

 それを感じ取った頭は、無意識に足を止めさせる。

 足がもつれ、床に倒れこんでしまった。

 同時に。

「っ!」

 耳をつんざく音が響くと共に、マリアの頭上を掠めてゆく何か。

 何かはそのまま壁にぶつかり、身を埋めてゆく。

「そ、んな……」

 ころんで打った箇所を押さえながら見た光景。

 男が自分に向かって、狩猟用の銃を向けていた。

「な ―――」

 次の言葉を発する前に、またもや身体が勝手に反転する。

 響く二発目の銃声。

 弾は今までマリアがいた場所に埋もれていた。

「い、いやぁぁぁぁぁ!」

 何に対しての悲鳴か。

 銃を向けられていることに対する恐怖だろうか。

 いや、駆け出してゆくマリアに恐怖はない。

 マリアの心を占めていたのは、自分を殺そうとするまでの憎しみを持っている父に対する、悲しみだった。

 それを感じてしまったが故の悲鳴。

 この場にはもう、留まっていたくなかった……。

 

 

 鬱蒼とした森を抜け、ようやく日の光を浴びたところは、マリアがいるであろう屋敷の前だった。

「ん……」

 ゼノグリアは若干汗ばんだ身体をパタパタと、服と身体との間に風をいれて
冷ます。

 そうしながらぐるりと見渡して、目に入ったのは寂れた屋敷。

「やっぱり」

 やはり思った通りだ。

 マリアの行く末は、幸せではない。

 屋敷が負の気配を撒き散らしているのが、いい証拠だった。

「どうするのかな」

 ここで一部始終を見ていよう。

 何やら面白そうなものが見れそうだから。

「……」

 高揚感ともいえるものを感じている中、ただ一つ、纏わりついている気配が
あった。

 ゼノグリアは鬱陶しそうに顔をしかめているだけで、無視している。

 一時は追い払おうかとも考えたが、ふと思いついたことがあったのだ。

 この気配の主が何者なのかは分かっている。

 だからこそ使えると思った。

「さて、……ん?」

 屋敷の方から、誰かが走ってくる。

「ヘルマリア」

 思わず口元が緩んでしまう。

 マリアの顔は悲しみ一色に染められていた。

 それも余程の悲壮感に包まれているのだろうか、息を切らせながら、足を止めずに泣いている。

「器用な……」

 どうやらマリアは、ゼノグリアに弄ばれる運命らしい。

 涙に濡れて見えないのか、それともまともに考えることが出来ていないのか。

 一直線に『あちら側』へと。

 ゼノグリアがいる場所に向かって、走ってきていた。

 

 

「うぐっ……ひっく……えぇぇえん……」

 涙が止まらない。

 息が途切れ途切れになり、苦しくなっても止まらない嗚咽。

「えぇぇぇぇぇえん……」

 母はその身を犠牲にして、私を助けてくれた。

 もしかしたら一度失ってしまった命を、母の御蔭で得られたのかもしれない。

 それだからこそ、父に許してもらえないことが。

 たまらなく、つらい。

「っ!」

 地面から這い出た木の根に足をとられ、マリアは盛大に顔面からころんで
しまった。

 額から少量の血を流しながら。

 全身から来るしびれる痛みを感じていながら、痛さよりも悲しみで泣くことが
止められない。

「……っ」

 ごめんなさい。

 大事な人を奪って、ごめんなさい。

 許して。

 一度でいいから、その腕で抱きしめてほしい。

 その後なら、殺してくれてもいいから。

「……マリア」

 これほどまでに親という存在を渇望しているのに。

 目の前に現れた男は、容赦なくマリアに銃口を向けた。

「……ごめん、なさい……」

 口から出た、かすれた言葉。

 見つめるのは父の目だけ。

 突きつけられた鉄の塊は目に入らなかった。

「……どうしてだ」

 同じくして、男の心もかき乱されていた。

 マリアは妻を道連れにし、生きている俺さえも呪い殺さんとしていたはずだ。

 だからこそ、俺は長く苦しみ続けてきた。

 それなのにどうして、謝罪するのか。

「お前は俺を、呪っていたはずだ!」

 何の事だかわからないと首を振るマリアを他所に、男は自分の心境を吐き出していた。

 妻を救えなかった。

 心の底から愛していたのに。

 そのことから逃げるようにしてきた男の気持ち。

「おと……ぅさ……ぁん」

 決してそんなことを男は口に出していたのではない。

 自分よがりなことを言うばかり。

 だがそれを節々から感じてしまったマリアは、また涙を零す。

 どれだけ流しても、無限に溢れてくるかのようなそれは。

 男の目からも流れていた。

「ど、して……謝るんだ……」

 二人が再開した部屋。

 女が好きだったあの部屋では、長く沈黙が流れていた。

 今もそれは同じ。

 ただ、二人の嗚咽が混じっているのが、一つの違いだった。

 

 

 誰もが入りこめないような空間。

 奇妙な光景には違いないが、人であれば誰しも今は、と理解しただろう。

 人であれば。

 そう、ゼノグリアについてきた気配は、人ではない。

 ただ怒りの感情に身を任せ。

 本能に従って動くもの。

 ―――  子の仇をとらずして なるものか  ―――

 一見して武器を持っている人間の方が危険だと判断したそれは、その後方へと
回り込む。

 そして躊躇なく。

 男に襲い掛かったのは、体格の並外れた、あの虎だった。

 

 

 

 

 

 

 

著者: 若葉 様







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