− 変兎 −

 

 

 

 ゼノグリアの家まで長く彷徨った森とは、まるで様子が違う森。

 草花が鬱蒼としげっているのは同じでも、陽光が当たり、見るものを癒さんと
するかのような輝きが違うものだと明示していた。

 家を出て、はや一週間が経つ。

 道中にこれといった危険はなく、マリアはただ呆然とするばかりだった。

 それなりの覚悟を決めてきたのに、予想は裏切られた。

「……危険なことはないと言ってるのに」

 気を張りつめていたマリアを見て、ゼノグリアが言った言葉。

 疑っていたのだが、今は信じるよりない。

「それにしても……」

 何日が経とうとも、『あちら側』を越えて来たマリアにとって、この平穏な空気は慣れる事が出来なかった。

 

 

「……『あちら側』と『こちら側』?」

 自分は真逆の方向に進んできてしまった。

 ならば戻るしかない。

 数日間、ゼノグリアの家にて休養したマリアは、その気持ちを固めた。

 父に会わなければ。

 ボロボロになった母。あれが幻影であったのかどうか、確認しなければ。

「そう。私達がいるこの森は、絶対の領域が出来てる」

 ゼノグリアにそれを打ち明けたのは、出発する一日前。

 家族の下へ帰るためには、行く道を聞かなければならない。

 そう思って話したのだが、なにやら話がとんでしまっている気がしていた。

「境目……、場所によって違うけど崖や川、過剰に伸びた草木とかで隔てられ
てる」

 見えない境界線が、森を二つの様相へと分けている。

『こちら側』は生命が溢れ、慈愛に満ちた様相。

『あちら側』では生命は奪われる対象であり、混沌に満ちた様相。

「あなたが来た道は『あちら側』」

 思い当たる節がある。マリアは自分が虎に追われ、崖から転げ落ちた時に見た
風景を思い出していた。

「私が今から教える道は『こちら側』の領域内」

 そうして教えられた道は、歩いて二週間程もかかる道筋だった。

 だがあの暗黒に飛び込むぐらいならば、危険がないという道を行った方がいい。

 油断はできないが。

「間違っても境界線を越えないこと」

「超えるつもりはないけど、一応聞いておく。……なんで?」

 特有の笑みを浮かべて、ゼノグリアは答えた。

「領域に立ち入れば、その領域の法則に自然と変わる。境界線を越えたら、あなたの命は奪われる対象となる……様々なものから」

 

 

「どうしてそんなに家族に会いたいの?」

 一部始終を聞き終えた後に言われたことは、マリアには不可解な質問だった。

「どうしてって……家族に会いたいって思うのは当然でしょ」

 何を言い出すのかと見つめられても、ゼノグリアは納得せず、他の事を聞いた。

「……なんで『あちら側』に行ったの?」

「気づいたら、いた」

 経緯を話すのは躊躇われ、短く告げる。

 しかしそれで納得するゼノグリアではない。

 目ざとく、何かを隠しているということを察知した。

「貸しが一つ」

「え?」

 突拍子も無く、言い出したこと。

「助けた貸しが一つ。だから聞く権利がある」

 唖然としてしまう。

 まさかこんな所で、それを持ち出してくるとは……。

「そ、そんなこと言ったって」

「さらには服・食事・寝泊りする場所……貸しはいくつもある」

 後ろにあった棚の引き出しから、何やら一枚の紙を取り出すゼノグリア。

 そしてそれをマリアの前に置いた時の表情は。

「ふふふふふふふふふふ…………」

 わざわざ言い表すまでもないような、最大限のにやけ顔。

「なにこれっ!?」

 差し出された紙の一番上には。

 

(☆ マリアへやってあげたこと♪ ☆)

 

「♪がネック」

「んなことはどうでもいいわぁぁあい!」

 ツッコミをいれながら見てみれば、合計数には。

「四十八ぃ!?」

 表には十二個の貸し内容しか書かれていないのに、何故か合計数はそれを超過
している。

「一つにつき、四の貸しが加算されます。理由の一つには情け深い私の気持ちが
注入され」

「しなくていいっ!!」

 いつの間にか、ゼノグリアのペースに嵌まっている。

 ハッとした時には、すでにゼノグリアは真面目な表情になっていた。

「詳しい理由は?」

 どうあっても聞こうとするだろう。

 溜め息をつきながら、渋々とマリアは話し始めた。

 自分が川に流されたこと。

 夢と共に、自分に起こった不可思議なこと。

「光の世界から、気づいてみたら、お父さんがお母さんを抱きかかえて……」

 そしてまた気を失い、次に気づいた時には、『あちら側』にいた。

「……」

 珍しく(?)考え込むゼノグリアを前に、マリアはどうせ信じてもらえない
だろうと思っていた。

 とてもではないが、現実味に欠ける話だ。

「そう、わかった」

 予想外の答えが帰ってきた。

 だがこうして想像を裏切るのが、ゼノグリアなのかもしれない。

 マリアも初めは驚いたものの、すぐにそうなのだと割り切った。

「とにかく今は早く帰って、確かめたいの」

 強いマリアの意思により、それならばとすぐに用意し始めた御蔭で、なんと翌日には出発ということになった。

 またまた珍しく、ゼノグリアが尽力したこともあって、予想以上に早くことが
進んだのだ。

「あの、本当に色々とありがとう」

「別にいい」

 素直に感謝しているマリア。

 やっと家に帰れるという気持ちが強いのか、頬が緩んでいる。

 そんなマリアを見て、ゼノグリアはボソッと呟いた。

「……がんばって」

「え……。う、うんっ!」

 まるでゼノグリアの言葉とは思えないが、心配をしてくれているのだろうか。

 嬉しくなったマリアは満面の笑みを浮かべたのだった。

 

 

 マリアが出発して、二日後のこと。

「やっほー! ひっさしぶりぃ〜♪」

 ゼノグリアの家に、珍しい来客があった。

 家の扉が勢い良く開けられ、入ってきた活発な少女は、さっそくキョロキョロとお目当てを探している。

「まったく、騒々しい。もう少し静かに入れんのか」

 その後ろから現れた、これまた可愛らしい少女は、げんなりした口調ながらも、表情は柔らかい。

「……珍しい」

 奥から現れたゼノグリアは、久しぶりの来客に少々驚いていた。

「ゼノグリア、久しぶりだの」

「ネロ」

 金髪が映える少女、ネロはゼノグリアを後ろから抱きしめ、頬ずりしている少女を指差した。

「こやつが急に行きたいと言いだしての。長い間、顔も出していなかったし、それならばと来た次第じゃ」

「うっとうしい」

「うわぁん、ひどぉい!」

 ゼノグリアに顔を押しのけられ、涙目になった少女、ミゼリエルはふと違和感を覚えた。

「……どこか行くの?」

 どこかへ遠出する格好をしており、食料などをいれた籠も持っている。

 まるでピクニックにでも行くと言わんばかりの、気軽さでもってゼノグリアは
答えた。

「二週間以上、家を空ける。よければ帰ってくるまで、ここにいて」

 突然の事にポカンとする二人を尻目に、ゼノグリアは家を出ていこうとする。

「え、あ、ちょっとまっ……」

 さすがにミゼリエルがどこへ行くのか、と問おうとしたのだが、それを手振りでネロは止めた。

「任せるがいい。気をつけての」

「ん」

 そのままスタスタと行ってしまうゼノグリア。

 後姿を見送りながら、ミゼリエルは不安そうに呟いた。

「大丈夫かな」

「何も心配いらんだろう」

「なんで?」

 反射的に聞かれた問い。

 それに返せる明確な答えをネロは、これしか思いつかなかった。

「あれだけ楽しそうにしているのだから、何か面白いものでも見つけたのだろう」

 

 

 見送る二人を後ろに、ゆったりと歩いてゆくゼノグリア。

 マリアが行った道からは逸れ、『あちら側』へと入ってゆく。

 相変わらず鬱蒼として、気持ちの悪い場所だ。

「……」

 そんな中で浮かぶのはマリアのこと。

 別れる直前、『がんばって』という言葉に、満面の笑みを浮かべていたのを思い出す。

「くくく」

 意地の悪い苦笑がもれる。

 何か勘違いしていたようだ。

 私が心配して言った言葉だとでも、思ったのだろうか。

「……ヘルマリア」

 こちらの名前の方が、あの子に似合っている。

 マリアだなんて、呼びたくない。

「がんばって」

 あなたが行った先に明るいもの等、有るわけがない。

 そういう意味で、嫌味で『がんばって』と言ったのに。

「やっぱり……、おもしろい」

 笑みを浮かべながら歩いてゆくゼノグリアに、近付く気配は一つとしてなかった……。

 

 

 

 

 

 

 

著者: 若葉 様







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