− 暗明 −

 

 

 

「お腹、すいた……」

 目は虚ろ、まるで幽鬼のように歩く少女。

 目的地は無く、されど留まる場所もない。

 ただただ、歩き続けている。そのためか、足は木々や鋭い葉に傷つけられ、無残な状態になっていた。

 

 

 意識を取り戻したマリアは、まずその光景に絶望とした。

 周囲は深い森と、怪しい雰囲気の草花で覆われ、かすかに見える太陽の光を、
ほとんど遮断してしまっている。

 後方より川のせせらぎが聞こえるのだが、それは何かへと誘うような音に
聞こえ、気味が悪いこと、この上なかった。

「おか……ぁさん?」

 それに答える者はなく、また同じように父を呼んでも、聞こえてくるのは恐怖を沸きあがらせる自然の音だけ。

「いや……」

 脳裏に焼きついているのは、恐ろしい形相をした、父の顔。

 そんな父に抱かれた、ぐったりとした母の姿。

 本能的に、理解してしまった。

「おいてかないでっ!!」

 涙が溢れてくる。

 こんな怖い所に、おいてかないで。

 一人に、しないで……。

 

 

 それからはずっと、逃げるようにマリアは歩き続けた。

 鬱蒼とした森を、ただただ進んでゆく。

 そうしてもう、五日が経とうとしていた。

「……」

 口にしたものと言えば、時折見つけた、水溜まり。

 そこに顔を近づけ、僅かに泥が混じった水を嚥下してゆく。

 不思議なことは、これだけ深い森なのにも関らず、木の実類などが一切見つからなかったことだった。

「おなか……すい、た……」

 突然足がふらつき、地面に倒れこんでしまう。

 生い茂った草がクッションとなり、痛みこそなかったものの、マリアの心には
抑えきれない感情が溢れてきた。

「………っ」

 父が去った『であろう』方向に進んできたはずなのに、未だにこの森を抜ける事ができない。

 恐怖よりも、諦めと悲しみが強かった。

 その時、ふと顔に触れた物があった。

「……?」

 今まで自分で気づく事はなかったが、マリアの頭には何やら黒い物が乗っている。

 夢にみた白い世界にて、最後にふわっと、頭に乗ってきたものだった。

「なに、これ」

 無造作に手にとり眺めてみれば、益々異質なものだ。

 手触りは高級な布のようだが、なにやらフニフニとしており、なおかつ目と口がある。

 片目は縫い付けられているのか、かすかにしか開いていない。

「……ねこ?」

 見た目は辛うじて、そう見える。

 帽子としての役割であるのか、今まですっぽりとマリアの頭に被っていた
らしい。

「ひっ!」

 目が、マリアを見た。

(オァアァァァァァァ〜〜……)

 鳴き声、とてもではないが可愛くない声を発するそれは、益々気味悪さを増幅
させる。

「……」

 だが、不思議と捨ててしまう気にはなれなかった。

 何かがそうさせるのか、それとも根源で繋がっているのか。

 マリアは薄気味悪く思いながら、それに話しかけてみた。

(オァアァァァァァ〜〜〜……)

 もぞもぞ……。

 まるで犬が身体についた水を振り払うかのように、身体(?)を振るわせる黒い物体。

 だがかなり、緩慢な動きである。

「……ぷっ」

 あまりの可笑しさと奇天烈さに、思わずふきだしてしまう。

 久しぶりに見せた、マリアの笑顔だった。

 

 

 一時は気が紛れた御蔭で忘れられていたものの、やはり根本的な解決には
ならない。

 むしろさらに進行した空腹度合い。

「……ぁか、すいた」

 言葉に出すのも億劫であるが、自然と出てしまう。

 胸に抱いた黒い物体を見つめ、ふと思いつく。

「食べていい?」

 触感はフニフニしていて、まるでスポンジケーキのようだ。

 冗談で口にしたマリアだったが、ふと悪戯心がわき上がる。

 まるで拒否するかのように、とてもそうは思えないが、とにかく緩慢な動きで
もぞもぞと震える黒い物体を口に含んだ。

(きゃーーー)

 まるで危機感のない、棒読みの悲鳴。

 またまた笑ってしまいそうになるマリアだったが、ふと気づいたことがあった。

「……甘い」

 感触がスポンジケーキみたい。

 なのではなく、味までまさにスポンジケーキだった。

「……」

 躊躇はした。

 だが、空腹がそれを行動に移させた。

 一部分を掴み、ちぎる。

(きゃーーー)

 そして口に含むと、スポンジケーキ。

「……がるるるる」

 ケモノになったマリアはそれを繰り返した。

 そして黒い物体が三分の一をなくした、というところまでゆくと、やっとマリアのお腹は満たされたのだった。

「美味しかった……」

 無我夢中で食べてしまったためか、無残な形になってしまった黒い物体。

 すぐに我を取り戻し、謝罪の言葉を口にしようとした。

 だが。

(オァアァァ〜〜……、キュフゥ)

 まるで幻が一つの物体へと変化するかのように、無くなってしまった場所が一瞬で復元されてしまった。

 驚きのあまり、言葉がない。

 見た目は奇天烈な、どちらかと言えば聖の部類に入らないような物ではあるが、その様は奇跡、といった感じだった。

「すごい、ね」

 思わずついた賞賛に、黒い物体は。

(オァァァァ〜)

 相変わらずの間の抜けた声を出すのだった。

 

 

 何かを食べると、普通は喉が渇くものだが、あの『スポンジケーキ』はそれが
なかった。

 逆に潤ったのではないか、という現状に内心、さらなる賞賛をマリアは覚えて
いた。

「さて、と」

 とりあえずは動ける。

 怪我が所々あるものの、空腹を乗り越えたマリアにとって、それは小さな痛みでしかなかった。

「……いこう」

 父が去ったと思われる、思っている方向へと、足を踏み出す。

 頭にはあの黒い物体を乗せ、進みゆく少女は、幽鬼ではなくなっていた。

 しかしそれは。

「おかぁさん……おとぉさん……」

 マリアの悲しみを埋めることは、出来なかった ―――。

 

 

 

 

 

 

 

著者: 若葉 様







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